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小売業態の誕生と革新 その進化を考える

小売業態の誕生と革新 その進化を考える

中田 信哉

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内容

まえがき?小売業態と進化論
1 業態を考える
 神奈川大学で「流通論(最初は商業学だった)」を講義するようになってもう27年たつ。最初は非常勤であったし、その後、専任になったのだが初めから今に至るまでただひとつまったく変わらず同じことを言い続けている話がある。こういう内容である。
 「流通というのは英語のディストリビューションの訳です。流通というと何となく商品が流れている状態が連想させます。では、ディストリビューションという言葉はどういう意味でしょうか。もちろん、流通であり、配給、配分とか伝導を言いますがこういう例があります。皆さんは子供のころ、あるいは最近でも動物園に行ったことがあるでしょう。そこで思い出して下さい。
 動物園には檻や柵があってそこに動物がいます。その檻などには説明板がついています。まず、動物の名前が書いてあります。たとえば「タヌキ」です。次にその英語名が書いてあります。タヌキの英語名は何ですか(昔は「ラスカルではありませんよ」と言ったが今では言わない)。ラクーン・ドッグと言います。ラクーンとはアライグマのことです。欧米にはタヌキは棲息していないのでそれに該当する言葉はありません。だから、アライグマに似たイヌだ、というわけです。しかし、アライグマはアライグマ科の動物でタヌキはイヌ科の動物です。アライグマはむしろイタチ科に近い。まったく違う動物です。
 まったく違う動物なのにどうして似ているのでしょう。これは「適応放散」によるからだと言います。適応放散とはまったく違う動物がたまたま同じような環境下で同じような生活方法を採った場合、似た形になったことの結果です。
 日本にはタヌキと似た動物としてアナグマがいます。アナグマはイタチ科の動物です。もともとはまったく違う動物でした。タヌキの先祖とアナグマの先祖がそれぞれ違う場所へ放散していき、その環境に適応した場合、同じ環境に棲むことになったタヌキとアナグマは同じような穴で繁殖するようになった結果、似た形になってしまいました。当然、タヌキとアライグマの混血はできません。おもしろいでしょう。
 ああ、話がそれてしまいました。タヌキの英語名でした。その下には学名が書いてあったりするでしょう。そして、次は大きな世界地図が書いてあってタヌキの棲息場所が赤で塗ってあります。ここには「分布」と書いてあります。「東アジア、日本」とあるはずです。問題は分布の下にある英語です。なんと書いてあるのでしょうか。実はディストリビューション―――distribution―――と書いてあるのです。そうです。ディストリビューションは「分布」なのです。
 そうであるとしたら流通の本来の意味は単に流れている状態を言うだけではなく、流れた結果の状態をも含んでいると考えねばなりません」(何を教えようとしているのかよくわからない)。
 でも、こういう風に話すのである。昔も今もそうであった。だから、大昔に卒業した元学生たちが「タヌキというと先生を思い出す」というくらいである。私は動物の話をするのが大好きである。動物についての私のキャリアは長い。流通やマーケティングよりも古い。子供のころから動物が大好きだった。でも、買い物や縁日も大好きだった。しかし、まともに相対したのは動物の方が古い。高校2年の時に本を読んでファンだった早稲田の高島春雄先生という方に手紙を書き、返事で勧められた「日本野鳥の会」というところに入会した。探鳥会などに参加したのは大学に入る前の2年程度だったがその後、会員ではあり続け、途中一時、会費を払わない時もあったが今でも特別会員になっている。WWF(世界自然保護基金?略称世界野生保護機構)の会員でもある。
 流通・マーケティングにまともに取り組んだのは大学に入って「広告学研究会」に入ってからである。こちらの方が生活の糧を得るための本業となった。しかし、今でも望遠レンズ付きのカメラを持ってたまに外へ出るし、庭の木に林檎などを刺してムクドリやヒヨドリやメジロやその他のトリがやって来るのを隠れてセットしたカメラで撮ったりしている。傑作もある。多分、読むのは自慢するわけではないが今でも流通・マーケティングの本よりも動物関係の本の方が多いと思う。まあ、乱読だが・・・・・・。
 大体、流通・マーケティング関係の本や資料は読むことは読むがあまり好きではない。嫌いな世界の話ではないので苦痛とまでは言わないが気乗りはしない。ただ、その中で異常に興味を持ったのが「小売業態」である。
 私の師匠というか兄弟子というか、宮下正房氏(東京経済大学名誉教授)という方の若い日の著書に「スーパー対デパートの激突」という本がある。私はこの本を読んで流通経済研究所入れていただいたようなものである。また、フランス文学者の鹿島茂氏に「デパートを発明した夫婦」という本がある。
 スーパーもデパートも業態としての小売業である。業態とは「激突するもの」であり、「発明するもの」だった。おもしろくないわけがない。学生たちにとっても興味深いものである。身近に新しい小売業が出店してきたり、今まで見てきたこともないお店を発見したり、彼らが仲間内で話しているのを聞くともなく聞くと小売店のことを話題にしていることが多い。
「昨日、代官山でおもしろい店を見つけたぞ」とか「そのシャツ、どこの店で買った。おれも買いたい」とか「今度、できたショッピング・センターには結構いい店が入ってるぞ」とか「この間、サークルの合宿で山に行ったらコンビニがなくて苦労したよ」とか、である。こういう話題なら私も加わりたい。
 とにかく業態の話はおもしろい。「こういう業態はいったい、いつごろ登場してきたのだろうか」とか「同じ業態同士の競争は何がポイントになるのだろうか」とか「昔、よく見た小売店だが今ではあまり見られなくなった。どうしたんだろう」とか「新しい業態を作るというのはどういうことだろうか」とか興味は尽きない。
2 環境理論
 実はこういう業態の発生から成長、そして衰退、などの流れを近代の商業の変革の中でとらえていくことは流通というものの持つダイナミズム(体系の発展の仕組みあるいは過程)を語る上で有効であり、流通の変化の表象的な現象として整理をしていくことによって流通革命だの流通革新だのといったことの構造を知ることができる。
 そうであるが故に流通やマーケティングを研究する人たちも業態の発生から成長に至るメカニズムを研究するのである。ただ、この流れをどういう視点で把握していくのかというのは難しいことである。昔からこの構造を理論化しようということを多くの人が試みてきた。それをグループ分けした場合、「環境理論」というのがもっとも主流であるといわれる。
 この環境理論はダーウィン流の進化論によるという。「環境適合」や「自然淘汰」というものである。決して進化論と業態論は縁のない世界の話ではないのである。そもそも、社会科学の理論の多くは自然科学に依拠している。その証拠に経営学やマーケティングの世界においては自然科学、特に生物学の世界で使われる言葉が山ほどある。経営領域を語る場合の「ドメイン論」は生物の生存領域を言う生態ドメインからのものであるし、よく隙間商法などの意味で使われる「ニッチ戦略」は生態ニッチからの言葉である。マーケティングにおける「プロダクト・ライフサイクル論」はもともとが種の盛衰をサイクルとしてとったライフサイクルからのものである。
 ダーウィン流の進化論で業態を見ることは不思議でも何でもない。大体、ニュートン(物理学)やフロイト(心理学)やダーウィン(生物学)の唱えた説はすでにその分野の独占物とは言えない。彼らの理論の大筋はすでに普遍化しており、自然科学だけでなくすべての社会科学の中にとり込むことはおかしくない。
 というわけで今回、私は業態と進化論の関係をいささか強引に結びつけてみた。というのは流通における環境理論は確かに進化論的発想によるものであるが果たしてどれだけ進化論の中に踏み込んでみたのかはよくわからない。偉い学者が環境理論に基づいて説を発表する場合、偉い学者であるからきっと進化論や生態論を研究し、勉強しただろうことは容易に想像できる。
 しかし、この偉い学者が自らの説を発表する場合、そのバックにある生態論や進化論についていちいち語ることはない。そこで偉い学者の裏側を少しのぞいてみてやろうかというのも今回の目的である。
 もちろん、進化論を考えてみることによって新しい業態論を展開しようなどという不埒なことを考えているわけではない。単に業態評論を行うのに進化論を強引に結びつけてみたというだけの話である。進化論といってもその切れッ端を無秩序に引っ張ってきただけである。
3 進化論を思う
 ところが最近の進化論の学問的進歩は著しい。もともと、進化論は肉眼で見える存在物を観察し、それをいじり回すことで行われた。ダーウィンのガラパゴス島のフィンチという鳥とかアリゾナ州の恐竜の化石とかである。それらを比較分析した結果、ある仮説を導き出すというものである。そこには多分にサスペンス(推理)小説的な匂いがある。文学的と言ってもよい。
 ところが最近の進化論は目に見えない世界に入っていった。今、進化論はゲノム(遺伝情報)の研究が中心である。ミトコンドリアなどのDNAの話になっている。専門用語を知らず電子顕微鏡も持たない(?)われわれには手に負えない。せっかくの文学や哲学の世界だったのが化学や数学の世界に行ってしまったのである(素人にはそう思える)。
 ただ、ドーキンスというイギリスの学者が言ったという「生物は単にDNAの乗り物に過ぎない」という利己的遺伝子の話にはSF的文学の匂いは感じられるが・・・・・・。
 これは経済学でもそうである。アダム・スミス、リガード、ケインズ、更にはマルクスなどの経済学には文学的な、あるいは哲学的な大きな夢がある。しかし、最近の経済学、特に近代経済学はモデルを作り、計算式を馬に食わせるほど投入するという算数や理科の世界になりつつある。
 こういう世界においては私にとって業態論と進化論を関係づけて考えることはできない相談である。目に見えるものを対象として古典的進化論と世俗的業態論を強引に関係づけてみるというのが私の限界である。遺伝子的な研究を業態論に結びつけるならもっともっと別のアプローチをする必要があるだろう。
 執筆を始める前にはこの進化論のところは神奈川大学の同僚である理学部の生物学の先生に読んでもらい、訂正していただこうと考えていた。しかし、反対に流通について誰か素人の人が何かを書き、私に「読んでみて直して下さい」と言ってこられた場合、事実と明らかに違うことについては訂正もできるが解釈については専門家的に「それは定説とは言えないよ」とか「それの解釈はいろいろあり、こうだ、というのは言い過ぎかもしれない」とか「厳密に言うとその表現は正しくない」とか、いろいろうるさいことが出るであろう。それをいちいち訂正していたら元の文章自体が成り立たなくなる。この本についても生物学の先生は「問題外だ。話にならん」と言われるに違いない。
 そう思ったので見てもらうことはやめた。したがって、進化論については読み物的な意味しかない。それを最初にお断りしておく。つまり、進化論的業態評論以上のものではない。
 そこで、まず業態について枠を言っておく。私は「業態とは経営的コンセプトというものが明確に存在しており、そのコンセプトに対応した市場標的(顧客のターゲット)が明らかになり、そのためのバックアップ・プログラムが構築されているということが条件となる。それに基づいてでき上がった小売業のビジネス・タイプを言う。」というように理解している。
 こう考えると町中にある家族経営の昔ながらの小売店は経営コンセプトとして「地域の人の日常生活の役に立つこと」があり、ターゲットとして「近隣の人たち」があり、バックアップ・プログラムは「すぐれた問屋さんを選択し、仕入を外部委託システムとして確立する」ということになり、言葉の上からだけだと立派な業態だと言えよう。
 しかし、一般的に言われる業態型の小売店と業種型の小売店の違いは厳然として存在している。それを単純に企業経営型小売業と家業経営型の小売業に分けてよいものだろうか。商業集積についても「自然発生型の商店街と人口開発型のショッピング・モール」と同じ考え方かもしれないがそれだってその中間型は山ほど存在する。
 このあたりのことはまだ、私の頭で整理ができていない。このことは本文の中で述べることとしてひとまず、業態というものが存在することをここでは確認しておく。
4 環境適合の前段階
 業態が誕生し、それが環境に適合して成長し、業態の確立がなされる。これはわかりやすい話であり、後は社会学的接近である程度のことは述べていくことが可能だろう。どのように環境に適合し、誕生した業態が小売業の形として独り立ちをしてその後、環境に対しての調整が行われ、形を少しづつ変えていき、業態として確固とした地位を占めることとなるのか。やはり環境変化に合わせて業態の変容を行い、新しい業態になっていくというサイクルである。
 ここまでの流れはその業態ともろもろの環境(社会環境、技術環境など)を分析していけばよい。これはしやすい研究である。しやすいというよりは個人的な考え方とレベルは別として環境事象についての知識である程度のことは言えるはずである。そこから多くの業態変化のダイナミズムの理論が生まれてくる。これは進化論でいうならダーウィンの環境適合と自然淘汰と同じことである。目に見える、現在、存在している動植物と化石などの表層的事実を目で見て分析するからである。ここから因果関係を導き出せばよい。
 ところが問題は業態の誕生である。どういう機制で、どういうカラクリというか仕組みでその誕生があるのか、という問題である。これもある環境条件が整った場合、そこに天才的な起業家が登場し、環境変化を巧みに見つけ出し、それに適合する事態を作り出したというなら話は簡単である。後はその起業家の人物論とできた業態の分析でよいのだろう。
 しかし、実態を振り返ってみると多くの新しく生まれた業態の始まりはいつでも「新しい業態を作ろうという意志」があったというものではない。たまたま、そうなったというものである。たまたま、というのは偶然という意味とは少し違う。後で新しい業態を生んだと言われる人たちは常によい結果を求めようとして「何か」をしていたのである。それはアイディアかもしれないし、手直しかもしれない。つまり、何らかの「変化」である。
 この変化は果たしてある時点において突如、起こったものだろうか。そうではないと思う。こうした変化は多くの人たちが常に行ってきていたことである。変化は大昔から不断に起こっている。数え切れないほどの変化が世界中で無数に起こっている。そして、それは中立的進化論における「中立的変異」なのである。有利か不利か、に関係なく変異が起こっているのである。
 その中立的変異のうち、たまたま、環境にうまく適合したものが新しい業態として登場するということだろうか。しかし、広い範囲で環境変化が起こっており、やはり広い範囲で多くの人によって多くの業態適合的変化があるはずである。では、そのうち、新しい業態の誕生として後々まで語り継がれるものとは「その後の成長と定着」によって業態として生き残ったものだけからではないだろうか。
 これはこれでよい。生物の種についても「変異によって生まれたがその後、環境適合せずに消えていったもの」はいくらでもあるはずである。この消えていった理由については既存の方法ではなかなかうまく説明できない。むしろ、工学的な、あるいは動物生態学における形態論とか機能論で言うべきかもしれない。そういう意味で佐貫亦男氏の『進化の設計』は私にとっては参考となる。
時々、プロ野球などで大記録を打ち立て選手の陰で消えていった反スター的な人を取り上げた本が出版される。「なぜ、すぐれた素質を持つあの選手が脚光を浴びることもなく、消えていったのか」という内容のものである。私はこういう読み物が好きである。「人の不幸を喜ぶ」ということではなく、「不成功の鍵」のようなことを知ることになるからである。そういう意味で「小売業のダイナリズム」の研究においては「不断に、無数に生まれる変化」がどう生き残って業態として定着したか、ということと同時に「生き残れなかった、定着できなかった」ものの研究が必要だと考える。これは後追い型の進化論ではなく、現在、進められている遺伝子の研究による変異の研究に共通するものだと考える。
「環境に適合した」ではなく、「環境に適応しようとしている」ということの研究である。これが業態論において行われるならもうひとつ興味深いものとなるのではなかろうか。
 15年使ってきた(何機種かの交代がある)キヤノンのワープロが壊れた。「廃インクタンクが寿命である。部品交換しろ」という表示が出た。メーカーに問い合わせてみると「もう、部品の在庫がない」ということだった。
 5年位前から自宅で原稿を書く場合、ワープロとパソコンを併用してきた。短いものはパソコンのワードで、長いものはワープロで書いた。使い慣れたワープロの方が具合がズンとよかったからである。自宅のワープロもパソコンもインターネットに接続していない。これまで出版社や雑誌社、新聞社に原稿を送る場合、MS/DOSでフロッピー・ディスクに落してそれをハード・コピーと合わせて郵送していた。実は自宅にもインターネットに接続したパソコンがある。一昨年、結婚して家を出た娘が使っていたものである。ただ、これは画面が小さくて老人には見るのがしんどい。だから、使う気がしない。
 たまにフロッピーを持っていって研究室のパソコンでインターネットを使って送ったりしていた。ワープロはまだ、使えるがプリンターが使えなくなった。プリンターは大学の研究室にしかない。こうして、私の回りの情報的環境が変化し始めた。自宅と大学の混合がこれまでの形であるが定年まであと3年9ヶ月。その後はすべて自宅で行わねばならない。私にとって環境適合の時期に来ているのである。どう、変化に対応した変異を行うかが問題である。ここでも中立的進化があり、「なるようになる(つまり、予測して行うのではなく、結果としてそうなる)」ということだろう。もちろん、原稿書きはやめ、年金で食うという(結果としての)選択肢もある。
 以上、この本の「まえがき」のつもりである。単なる随想、あるいは程度の低い評論であって業態論ではない、というようにも思える。また、読み返してみるとずいぶん矛盾したことも言っている。私にはどうも評価できない。お許しをいただきたい。私の苦手なもの、「社名、店名、年月日などの正しい表記」「外国語のスペル」「外国人の名前の読み方」「校正」。私は思いこみが激しいうえに性格が雑であるので間違った部分が多くあると思った。そこで神奈川大学大学院経済学研究科の河田賢一君に流通論に関する部分については確認作業をしてもらった。また、いろいろと無理をお願いした白桃書房さんにもあわせて感謝申し上げる。
2008年
中田 信哉

目次

目次
まえがき?小売業態と進化論
■ 業態というもの■
1 業種と業態
2 創造された事業形態
3 業態の特徴
■ 流通機構と業態■
1 流通機構というもの
2 小売機構のこと
3 業態型小売業の誕生
4 二足歩行
■ 見たことのない小売業■
1 分類をしてみると
2 業態の誕生と進化
3 総合進化説のこと
4 進化の設計
■ ヒット商品と業態発生■
1 環境適合理論
2 スーパー第1号
3 流通のダイナリズム
■ コンビニエンス・ストアの分化■
1 コンビニエンス・ストアの扱い商品
2 急速な変化
3 フィンチのくちばし
4 変異の起こり方
■ 突然変異なのかスーパーの登場■
1 キング・カレン
2 革新と繁盛
3 傾斜粗利制というもの
4 突然変異なのか
5 遺伝子の変異
■ 100円ショップの用不用■
1 100円ショップ登場
2 不況期の産物
3 用不用説
4 直線進化
■ 百貨店の適応放散■
1 ボン・マルシェ
2 いわゆる大型店
3 適応放散
4 適応度の高さ
■ GMSとは何だったのか■
1 シアーズ・ローバック
2 凋落のきざし
3 大型哺乳類の絶滅
4 小型が有利か
■ SPAは失敗の進化か■
1 ユニクロとGAP
2 オリジナル・ブランドと小売業
3 ブランドのリスク
4 失敗の進化史
■ ウォルマートは恐竜か■
1 スーパーセンターへ
2 恐竜大型化
3 ミドル層の崩壊
■ ノードストロームという業態■
1 神話の誕生
2 シアトルのノードストローム
3 高度なサービス
4 業態という種の分類
■ コンビニの誕生と中立進化■
1 便宜性のニーズ
2 衰退・拡大・放散
3 断続的平衡
4 中立的な変異
■ 棲み分けは救いなのか■
1 自然集合の形
2 モータリゼーションの時代
3 業種対業態の戦い
4 棲み分け理論
5 結果としての共存
■ 変化は起こり続けるもの■
1 不断な変化
2 業態の定着
3 適合の条件
4 選択から分化
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